(短編1400文字) 『What is needed』
真っ暗な夜を微かに照らす星明りのように、トンネルを明るく照らす街頭の道しるべのように、私は存在している。
少し仰々しい自己紹介になっているという自覚はあるが、それぐらい私は自分の役割に誇りを持っているし、無くてはならない、誰からも必要とされる、代わりの利かない優れた能力を持っていると自負している。
私と同じ能力を持つモノは同じ環境下で生まれ育ち、一定以上の水準を超えたモノから順、それぞれ依頼主の所で従事することになる。
大半は一人の主人の下で一生を終える事になるが、この世界はいつだって残酷だという事を忘れてはいけない。
依頼主との関係がようやく築けた所で、全くの他人に売られたり攫われたり、中には依頼主の欲を満たすためか、任務の失敗からか体の一部を失ったり、暴力を受けて命を落とすモノも居ると聞いたことがあるし、実際に見た事もある。
自らの役割を生涯まで全うできるモノはほんの一握りなのである。
私は今の主人に買われて随分経つ。今のところ心配はなさそうなので安心しているし、安心が信頼に変わり、自分の仕事を十全に行うための活力になっているとも言える。
私は必要とされているのだ。
私の仕事、それは「消す」事だ。
私ではない誰かの犯した失敗をきれいさっぱり消す事が私の仕事だ。
痕跡などは一切残さず、何事もなかったかのように白紙に戻す。
これをほぼ毎日休みなく繰り返す。
よくもまぁこんなに仕事があるもんだと思う事もあるが、私にはこれしか出来ないし、仕事があるだけマシだろう。
我々の世界では仕事のできなくったやつは容赦なくお払い箱だ。
それが例え怪我であろうと関係ない、使えなくなったら捨てる。
これがこの世界での常識なのだから。
我々の仕事の歴史は古く、16世紀頃に英国で初めて実行に移されたとされている。
そこからヨーロッパ全土に活躍の場を広げ、明治時代に日本へやってきた。
当時は消す事もままならず、他の役割を持つモノが我々の代わりをする事が多かったらしい。そもそも我々を必要とする人間も少なかったのだろう。
それでも我々の存在価値を見出されてからは長い年月をかけて大きく進化を遂げた。
現在では先人たちの努力と苦労の甲斐もあり、消す力を高め、現場では大いに力を発揮する事ができる。
しかし、最近では我々になり替わろうとする勢力が台頭してきている。
実際には少し前から勢力を伸ばしつつあるが、今ではその形勢も逆転しつつあるのが現状だ。
やれフリクションだの、修正テープだのと、インクを使われてしまっては私たちは全く役に立てないのである。
苦肉の策として「便利」や「おしゃれ」などに路線変更するモノも見受けられる昨今ではあるが、我々消しゴムは本来の目的を見失ってはいけない。
汚れてしまったノートの上を、きれいにする事が我々の任務なのだ。
キャラクターを象ったモノや良い香りのするモノなど様々あるが、あいつらがノートの上を走ると余計に汚れるではないか。
消しゴムは「きれいに消す」これができれば良いのだ。
現在で我々を必要としてくれる年代はほぼ小学生や中学生といった子どもが中心になっている。
4月となり、同士たちは子どもたちの筆箱に入り、今か今かと自分たちの出番を心待ちにしている。
イタズラ心から消しゴムをちぎって遊ぶ子どもも多いが、大事に扱ってほしいものだと思う今日この頃である。
おわり
後半めんどくさくなって適当に締めちゃいました。
1000文字ちょっとの簡単な読み物です。